Heartland

語るに足る、ささやかな人生

長いつきあいとあらたな出会い

2020年の7月のはじまりです。

ここでは、今までの自身の病気のこと、生き方・QOLについて、

書き込んでいきたいと思います。

同じような病気で悩んでおられる方、また親族への忘備録かもしれませんが、自分自身の振り返りから、これからのヒントになるかもしれないと、書き残すことにしました。

宜しくお願い致します。

いきなりですが、持病のお話です。

私は30年前位に心臓病を患っており(心臓の病気にも多々ありますが)
「閉塞性肥大型心筋症」
とずっと付き合っておりました。

10代は普通に生活し運動もしていました。
スポーツクラブにも入ったこともあるし、症状もとくに現れませんでした。

20代の半ば、
何か心臓がチクチクする、重たい違和感があると、近くの病院を受診したところ、
レントゲンでこんなにも心臓が大きくなっているかと自己で判断できるほどでしたが、それがどう影響するのか、なにが起きてしまうのかの知識はありませんでした。(ただ家族歴に突然死したものが何名かおり、母と叔父とか)
自分もそうなるかとの予想は10代の頃から持ち合わせておりましたが、
自身に降りかかるまで実感できず、呑気に生活していました。

大学病院で精査するため、1か月を要しましたが、まるでモルモットのように、
いろいろな検査を受け、入院しておりましたが、
敗戦投手がマウンドを降りるような心境で病院を出た記憶があります。
(入院中のエピソードはいろいろあるのですが、機会がれば面白おかしく、中島らもの小説のような表現が出来ればと思案しております。)

ここでは、病気自体の説明は詳しく述べませんが、左心室の血液がでるところにも、突起物があり、それが血液が流れる時、塞いでしまう時があるので、
「閉塞性肥大型心筋症」
という病名になります。
一応、難病指定にはなっています。

その後、予後は暫く、
特に発作や失神等の症状はなく、
当時は薬の種類もなく、根本的な治療法がないことだったので、

(特に激しい運動や労作作業の忌避はありましたが)

その後の人生の生き方を模索をしていましたが、
人生設計とか具体的な目標をあまり持つことなく、
成行き的、ときには諦め、ときには、なにかしらの希望を抱きつつ、
やり過ごしていました。

しかし、その20年後にあらたな病変が出現するとは予想しませんでした。

所謂、
「不整脈」です。
正式には
「心室頻拍」
致死性の不整脈です。

30年前の
「閉塞性心肥型心筋症」
はなんとか医学書を読み漁り、理解しましたが、まだインターネットの出現はなく、
詳しく調べるには、その後の症状の経過と他の病変の併発とかまでの予想は出来ませんでした。

その後、
厄介な事態が度々おこりました。

しかし、今年になって、
私を大いに悩ましたのは、
「心臓」でもなく「コロナ」でもなく、

「歯痛」と「股関節」(これは実際には昨年の4月頃~)の痛みとの、

あらたな出会いでした。